〈古川智映子の負けない人生〉第3回「仏法は必ず結果を出せます」

 東京で教育部(当時)の全国総会が開催され、そこで女性教師を代表し「これからの児童文学」という題で研究発表をした。取材に来ていた聖教新聞の記者さんから「今の発表を聖教新聞に載せたいと思うので、数枚の原稿にまとめてください」とのお話があった。
 研究発表と同じ題名の原稿が、写真付きで聖教新聞に掲載された。思いがけず、ご覧くださった池田先生から温かな激励を頂いた。
 その時から、原稿執筆依頼が次々と入るようになり、昼は高校教師、夜は深夜に至るまで執筆の日々が続いた。
 池田先生からご指導を頂く機会にも恵まれた。
 「この仏法は、必ず結果を出せます」
 「あなたはペンの道で、結果を出せる人です」
 そのお言葉に、私はこうしてはいられない、必ず結果を出さなければならないと固く決意をした。
 童話を卒業し、大人の小説を書いてみたいと願っていた私は、学校をやめて、小説の勉強をしようと思った。貯金のある限り勉強し、なくなったらまた働けばいい。そう思い、5年間勤務した高校に、潔く退職願を提出して職場を去った。
 大人の小説を書いてみたい。でも何をどう書けばいいのかわからない。私は、勉強をしなければならないと思い、有名作家の小説についての評論などを読み始めた。初めに、川端康成の『新文章読本』を読んでみた。
 「作者にとって文章は命である」「文章はペンで書くものではなく、命の筆先に血をつけて描く……」、また「金脈を発掘する日まで、書きに書くこと……その不屈の魂が文章上達の第一の要素」などと書いてあった。
 小説を書くのは、こんなにも大変なことなのだと思った。さらに文章の第一条件は「簡潔、平明」とも述べていた。川端康成の小説の文章は、確かに平易であり、素直であって読みやすい。
 他の作家の文章にも思いを巡らせた。例えば三島由紀夫は、川端康成の文章とはその対極にあると言ってもいい。川端は簡潔さなどのほかに「耳できいて解る文章を書くこと」を主張する。三島の文章には、実に多くの修辞が用いられ、凝っていて読みづらい。従って耳で聞いたときにも、わかりにくくて難しく感じてしまう。

 〈次回は明日付の予定〉  ふるかわ・ちえこ 青森県生まれ。高校教諭を経て、執筆活動に入る。著書にNHK連続テレビ小説「あさが来た」の原案本『小説 土佐堀川』のほか、『きっと幸せの朝がくる 幸福とは負けないこと』など。日本文芸家協会会員