
川端康成が述べるように、文章は書く人の命、文章にはその人の命が反映されると思った。
次には、林芙美子著の『創作ノート』を読んだ。
『放浪記』でデビューし、小説には単に自分の体験を書いていると思いきや、その後の作品は構成や人物像が緻密に練られ、主人公の顔や眼の表情まで絵に描いてあった。
評論家・小林秀雄の“説明を書くんじゃない。魂のことを書くんだよ”という言葉にも胸打たれた。
そして自分は何を書くのか。自信はなかった。東京女子大学で同期だった有吉佐和子はもう大作家になっている。やはり同期の脚本家・大藪郁子も活躍していた。永井路子、瀬戸内晴美(後の寂聴)、高樹のぶ子、植松三十里の諸氏も同窓である。私などかなうはずもない。
私は、もう一人の自分に問いかけた。
「それでは、あなたは小説を書くのを諦めますか」
「私、やはり小説が書きたい。諦めたくありません」
才能がないと知りながら、思いだけが先行して小説の執筆を志している。自問自答は続いた。
「どうしてですか。これからの出発では遅すぎませんか」
「私は家庭が破綻し、大変な苦労をしました。その時私は、これまでに生きた多くの日本女性の生き方について考えてみました。困難に打ち克って生を全うした女性もいると思います。できればそうした人を小説に書いてみたいのです。つまり、自分の生きる糧として書きたいのかもしれません」
もう一人の自分に、私はそう答えた。
事実、私は女性の生き方に興味を持つようになっていた。そして『近代日本の女性史』の全集や『女の一生 人物近代女性史』の全集などを買い込んでいた。
それらを参考にしてみたら何かヒントをつかめるかもしれない。
ふるかわ・ちえこ 青森県生まれ。高校教諭を経て、執筆活動に入る。著書にNHK連続テレビ小説「あさが来た」の原案本『小説 土佐堀川』のほか、『きっと幸せの朝がくる 幸福とは負けないこと』など。日本文芸家協会会員。