夫がいなくなって、一番困ったのは生活費のことであった。前の教員の職は長く勤めていなかったので、退職金がそう多くはなかったが、それがいつの間にか夫に持ち出されていた。ほかにもあったはずの貯金もなくなっていた。
年金がつくほどの年数は勤めておらず、私には収入がない。近所の野原の野草などを摘んで食べたが、そうした生活を長く続けるわけにもいかず、働かなくてはならないと思った。教員の仕事は学年の途中で見つからず、履歴書には大学卒業を書かずに、カレー工場の作業員やビルの清掃員などをして糊口をしのいだ。
幸せになりたいと思った。そう願えば願うほど、幸せから遠い自分を感じなければならなかった。
そんなある日、知り合いの母娘から信心の話を聞いた。
「この信心をすれば、宿命転換できて、絶対に幸せになれます」
32歳になるまで、私は創価学会のことを聞いたこともなかったし、何ひとつ知らなかった。
「この世の中に、人は必ず死ぬという以外、絶対と言えることなどあるのでしょうか」
「この信心だけは絶対なのです。必ず幸せになれます。幸せになりましょう」
初めて聞く話には戸惑いがあった。反対はしなかったが、少し考えてみたいと思った。
母娘が繰り返し語った「必ず幸せになれる」という言葉が心に響いた。
私はこれまでいい家庭を築こうと努力を惜しまなかった。それが最後にどんでん返しになってしまった。これからは、その幸せになれるという信心を基準にして生きてみよう。そんな気持ちが萌して、私はその日のうちに入会を決意した。昭和40年2月23日、私の新生の、蘇生の一ページが開かれる記念すべき日となった。
2年後に正式離婚し、東京都内の私立女子高校に就職することができた。創価学会教育部(当時)の部員となり、「実践の教育」という雑誌の編集メンバーに選ばれた。その雑誌に初めて童話を書いたのがきっかけとなって、後に小説を書くようになる。
ふるかわ・ちえこ 青森県生まれ。高校教諭を経て、執筆活動に入る。著書にNHK連続テレビ小説「あさが来た」の原案本『小説 土佐堀川』のほか、『きっと幸せの朝がくる 幸福とは負けないこと』など。日本文芸家協会会員。
