
「2位で悔しいと思えるチームになった、創価大学! 準優勝!」――ゴール前、テレビアナウンサーの実況が大躍進の全てを物語っていた。
箱根路を席巻した“創価旋風”。そのドラマは、2日の往路から始まった。
1区を託されたのは福田選手(4年)。創大の1万メートルと5000メートルの日本人歴代記録を持つエースは序盤、超スローペースの展開の中、我慢の走りで“勝負の時”を待った。その狙い通り、残り3キロ付近からスパートをかけた他大学に競り勝ち、区間3位で鶴見中継所へ。

続く「花の2区」でケニア人留学生ムルワ選手(2年)がチームを2位に押し上げると、3区の葛西選手(同)も負けじと順位を守り、区間3位の記録で首位との差を34秒に縮めた。

そして4区の嶋津選手(3年)が、10区の区間新記録を打ち立てた前回大会のような激走で、先頭の東海大学を捉え、逆転。残り1キロ付近、左太ももをたたきながら苦しい表情を見せるも、粘りの走りで2位以下との差を広げ、トップでタスキをつないだ。区間2位の大健闘。難病である「網膜色素変性症」を抱えながら、地道に練習を重ねてきた。「チームメートや周囲の支えがあって、ここまで来ることができました」と会心の笑みを浮かべた。

5区の三上選手(同)は、昨秋の“仮想箱根5区”の大会で優勝した「山上りのスペシャリスト」。自信を持って「天下の険」を駆け上り、終盤の下り坂は「脚が動かなくなるくらい、つらかった」と振り返るが、最後まで力強い走りを見せ、史上19校目となる「往路優勝」の栄冠を手にした。
列島に感動を広げた「もう一花咲か創価」
3日午前8時。静寂に包まれる神奈川・芦ノ湖に、復路の号砲が鳴った。
往路優勝校としてトップでスタートしたのは、6区の濱野選手(2年)だ。自分のペースで走ることを意識し、得意の山下りで実力を発揮。残り3キロで苦しい表情を見せるも、先頭で小田原中継所へ。

7区・原富選手(4年)はトップを独走し、区間賞と2秒差の好走で、8区・永井選手(3年)にタスキをつないだ。「往路メンバーと濱野がつくった良い流れを切りたくなかった。自分が差を広げようと思いながら、楽しく走れました」(原富選手)

永井選手は、同じ難病と闘う4区の嶋津選手と切磋琢磨してきた“努力の人”。初めての箱根路では、粘り強い走りを心掛け、最後まで懸命にトップを守り抜いた。
9区の石津選手(4年)は前回大会でも同じ区間を任された。だが、シード権争いの中、自分の力で圏内に押し上げられず、悔しさが残ったという。今大会は「前半、思い切って突っ込んだ」という攻めの走りで、序盤から一気に加速。区間新記録に迫る快走で、2位・駒澤大学との差を3分以上に広げた。

アンカーの10区・小野寺選手(3年)は、駒澤大の猛追に合い、残り2キロ付近で先頭を譲る。それでも必死に腕を振り、創大初の「総合2位」でゴールを駆け抜けた。
その直後、主将の鈴木渓太選手(4年)に抱きかかえられた小野寺選手。「『小野寺、2位だぞ。目標は3位だったからよくやった!』と激励してくれて、ありがたかった」と唇をかみ締め、次への雪辱を期していた。
榎木和貴監督は、選手たちの奮闘をたたえた。
「本当によく頑張ってくれました。皆の精神的な成長を感じた大会になりました。今秋の出雲駅伝、全日本大学駅伝に出場して結果を残し、再び箱根に戻ってきます」

今回の創大のスローガンは「もう一花咲か創価」。コロナ禍というかつてない困難の中、選手たちは見事な大輪の花を咲かせ、日本中に勇気と希望と感動を届けてくれた。
本年は創価大学の開学50周年の佳節。さらなる躍進へ、駅伝部の挑戦は続く。
■創価大学駅伝部――継走の軌跡
初出場 第91回大会(2015年) 20位

第91回大会(2015年)に創価大学が初出場。結果は総合20位だったが、1区を力走した山口修平主将(左端)らチームが一丸となって新たな歴史を開いた
2度目 第93回大会(2017年) 12位

第93回大会(17年)に2年ぶり2度目の出場。セルナルド祐慈主将㊧らの執念のタスキリレーで往路9位、復路13位の総合12位に。大躍進の結果を残した
3度目 第96回大会(2020年) 9位

第96回大会(昨年)は、1区・米満怜選手㊧が区間賞、10区・嶋津雄大選手が区間新に輝くなど築舘陽介主将を中心に快走。総合9位で初のシード権を獲得した

