“はげましの言葉”で心を結ぶ

かつて、中国の作家である巴金さんが、国際会議のために東京に来ていた時のことです。
世界的な大作家でしたが、ほとんどの日本の人は巴金さんの顔を知りません。ところが、ある朝から急に、「巴金さんですね」「こんにちは」と、ホテルでも街かどでも、見知らぬ日本の人から声をかけられるようになったのです。
“なぜ、急にこんなにも多くの日本の人が私のことを知るようになったのだろう?”。実は、その前の日、巴金さんは池田先生と会っていました。笑顔で先生と語り合う巴金さんのすがたが、この朝、聖教新聞にのっていたのです。
毎朝、日本中の何百万もの人が聖教新聞を読んでいます。聖教新聞の力はすごいものだと、巴金さんはおどろきました。
1カ月後、中国を訪問した池田先生と再会した巴金さんは、「おかげさまで、いっぺんに日本中に友人ができました」と、うれしそうに先生に話しました。
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聖教新聞は創価学会の新聞です。第1号が発刊されたのは、1951年4月20日のことでした。戸田城聖先生が第2代会長に就任する2週間ほど前のことです。
仏法をひろめ、人々を幸福にして、平和な社会をつくっていく。そのためには“言葉の力”“文字の力”が大切だと、戸田先生は考えていたのです。
「大作、よく考えておいてくれ」
聖教新聞を作る計画は、戸田先生と若き日の池田先生との語らいの中で生まれました。
創刊されると、戸田先生も池田先生も、たくさんの記事を書きました。
「日本中、世界中の人に、聖教新聞を読ませたいな」
この戸田先生の願いのままに、池田先生は聖教新聞を真剣に育ててきました。どうすれば、読む人に勇気と希望を届けることができるか。読む人が強く、賢く、心豊かになっていけるか。
1人1人に会ってはげます思いで、小説、詩、メッセージ、随筆と、池田先生は聖教新聞に書いて、書いて、書き続けてきたのです。
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北海道から沖縄県まで、遠くの島々もふくめて、毎日、聖教新聞が配達されています。今、新型コロナウイルスの広がりで、人々が集えない中でも、創価学会は聖教新聞でみんなの心を結び合っています。
聖教新聞の“正義の言葉”“はげましの言葉”があったから、学会は大発展してきました。2019年には東京・信濃町に世界聖教会館がオープン。今では紙の新聞だけでなくパソコンやスマホなどで読める「聖教電子版」もあり、200以上の国と地域からアクセスされています。
また、各国のSGI(創価学会インタナショナル)でも、聖教新聞の姉妹紙誌として、いろんな新聞や雑誌が作られています。
今年の4月20日で、いよいよ聖教新聞が創刊されて70周年をむかえることになります。
【文】ひがし しんぺい 【絵】間瀬 健治

