今こそ心を磨く時 滝の如く恐れず
初めて歌詞を読んだ時、その世界に引き込まれた。青森県の奥入瀬渓流。水音が響き、しぶきが光る。曲のタイトルは「滝の詩」――。
2007年(平成19年)5月。関西男声合唱団の和田智弥は、本部幹部会に参加するため上京した。ホテルに着いた夜。急きょ「滝の詩」の曲を歌えるよう準備することが決まった。“これが師弟の呼吸なんだ”
当時はまだ、「滝の詩」は学会で広く知られる曲ではなかった。智弥は他の団員たちと同じように、自分の部屋で練習した。力強い詩に、勇壮な曲調。
滝を見つめる池田先生の姿を思い描いた。“先生の心が伝わる歌に”。歌は、どれだけ歌詞に迫れるかが勝負。それは12歳から音楽隊の合唱団で学んできたこと。一節一節を体と心に染み込ませるように、深夜まで小さな声で歌った。
翌朝、メンバーと歌声を合わせ会場へ。本部幹部会が始まった――。
*
あれから10年後の17年12月、智弥は医師から説明を受けていた。糖尿病。網膜症も併発し、失明しかねないという。病状は深刻だった。
服薬と厳しい食事療法に努めた。病にあらがう力が唱題と歌だった。関西男声合唱団の練習に勇んで参加した。
18年7月には大阪城ホールで開かれた関西栄光大会で、「人間革命の歌」のソロパートを担う。全てに勝つ思いを込め、歌い切った。1カ月後、視界に白いもやがかかるように。網膜症が進行していた。“失明するかもしれない”
程なく、目の手術が決まる。入院中の病室。合唱団で録音した学会歌を何度も聞いた。「滝の詩」に胸が熱くなる。

――あの日の本部幹部会。池田先生はスピーチで「滝の詩」の歴史に触れた。そして、関西男声合唱団に披露できるかを尋ねた。
「はい!」。智弥は団員と共に即座に立ち上がった。伴奏が響く。
〽滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て
病室で聞き入る智弥は、自分を見つめた。試練に揺るがない自己を築く。その絶え間ない戦いがこの歌の魂。今の自分はどうか。
唱題する心に、すがるような姿勢が寸分でもなかったか。“治りますようにじゃなくて、何があろうと勝ち越えてやる”。退院後。職場で異動を通達された。営業から内勤に。悔しくても、現実を受け止めた。
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年が明けた19年の2月、智弥は岩手を訪れる。東北復興支援の「希望の絆」コンサート。九死に一生を得た方、目の前で愛する人を失った方……被災した人たちのためにできることとは。祈りに祈り、同苦の心を広げてこそ、歌声に力が宿る。唱題を重ね、真心を込めて歌を届けた。
「青年よ広布の山を登れ」を歌うと、涙ぐむ人たちが目に映った。その姿に、強く胸を打たれた。夏に2度目の手術。術後、目視では製品を確かめる作業が難しいと判断され、またも職場を異動になった。その後、左目は失明……。
物の距離感がつかめなくなった。家でコップにお茶を注ごうとすると、こぼしてしまう。人混みでは、よく人にぶつかった。怒鳴られ、やるせない気持ちになっても、智弥は自分に言い聞かせた。

