
3日の第98回東京箱根間往復大学駅伝。3年連続5回目出場で前回往路優勝、総合2位だった創価大は総合7位に入った。
前日の往路では苦しいレース運びが続いたものの、4区ではエース・嶋津雄大(4年)が区間賞の走りを見せて往路8位。復路は7区・新家裕太郎(3年)が5位まで順位を押し上げ、続く8区の1年生・吉田凌も粘りの走りを見せた。最後は当日エントリーされた松田爽汰(3年)が区間5位の快走で、7位でフィニッシュした。
前回準優勝という、まぶしすぎる重荷を背負った創価大は苦しみながらも「強さの追求」を掲げ、1年間取り組んできた。伝統のあるチームではない。箱根駅伝の初出場は2015年と7年前。現役時代に中央大、旭化成と名門で走ってきた榎木和貴監督(47)が19年2月に就任して練習の量と質が上がり、3回目の出場となった20年に9位で初めてシード権を獲得。前回大会で準優勝と大きな飛躍を遂げた。
しかし、前回大会後、チーム運営に苦しんだ。主将の三上雄太(4年)は「思ってもいない2位で正直びっくりした。周囲から『次は優勝』と言われるが、まだ1位を狙える実力ではない。それでも、みんながやらなければならないと上を求め過ぎた結果、チームは空回りした」と振り返る。準優勝の喜びを引きずって浮かれがちな選手もいてまとまりを欠き、練習のし過ぎで故障する選手も相次いだ。
迎えた21年6月19日の全日本大学駅伝予選会。参加20校中、14位にとどまり、箱根駅伝のシード10校で唯一、本戦出場を逃した。寮に戻ると、榎木監督は「このタイミングで話さないとチームは変わらない」と緊急ミーティングを開いた。「このままじゃまずい。ここからどれだけやっていけるか」と告げる榎木監督に対し、選手たちからも「厳しい練習から逃げている選手がいる」など次々に意見が出た。三上は「全員の目の色が変わった」と話す。
夏は月間900キロ以上の走り込みを課すと、多くの選手が達成した。秋以降にチーム状態は上向き、10月10日の出雲全日本大学選抜駅伝は初出場ながら、3区時点で2位を走るなど健闘の7位入賞。11月28日に東海大であった記録会の1万メートルで、主軸のフィリップ・ムルワ(3年)や嶋津が参加していないにもかかわらず、7人が28分台の好記録を出した。
前回8区を走った永井大育(だいすけ、4年)やアンカーだった小野寺勇樹(4年)が、実力で16人のエントリーメンバーから漏れるほど層は厚みを増した。手応えを持って臨んだ今大会は底力を随所に見せ、榎木監督はレース後、「失敗が無ければいつでも上位を目指せると自信がついた戦いだった」と成長を口にした。「箱根駅伝全体のレベルも上がっている。選手自身も上を目指さないと優勝は見えてこない」。強さの追求はこれからも続く。【小林悠太、円谷美晶】

