
大会終了後、榎木監督は語っていた。
「箱根駅伝は“4年生のための大会”といっても過言ではありません。だからこそ4年生が一枚岩となり、チームを結束させていけるかが重要なんです」
それは出場する選手だけではない。エントリーから外れたメンバーも含めた全4年生の思いが結果につながるということだろう。
創価大学駅伝部の4年生は7人。どの学年よりも少ない人数だが、出走した三上・嶋津・中武選手に加え、サポートに回った4人の存在が、大舞台に挑むチームの支えになった。
「もがき続けたことが誇り」
その一人が、前回大会で10区を任された小野寺勇樹選手。トップでタスキを受け取るが大逆転を許し、筆舌に尽くしがたい悔しさを味わった。
雪辱を期して迎えたラストシーズン。だが程なくけがを負い、再起への決意は、次第に焦りと重圧に変わっていった。
“もう、競技をやめようかな……”
そんな心の変化を周囲は見逃さなかった。
久保田満コーチは、じっくりと話を聞き、彼の思いを受け止めた。
瀬上雄然総監督は「もう一度、一緒に頑張ろう」と前へ進むきっかけを与えてくれた。
何よりうれしかったのは、同期や後輩たちが変わらぬ姿で接し続けてくれたことだ。
「一人じゃない。最後まで戦おう」――そう心に決めて、この一年は、これまでの陸上人生で最も自分を追い込んだ。
しかし、エントリーメンバー入りは、かなわなかった。
「正直、悔しくないと言えば、うそになります。でも真剣に練習し、誰も経験できないような悔しさと、そこから諦めずに立ち上がる強さを鍛えられました。もがき続けたことを誇りに思います」
1区を走った葛西選手は言う。「必死に練習する小野寺さんに、僕たち後輩は多くの勇気をもらいました。箱根前には自身の経験を通して励ましてくれ、その真心が本当にありがたかったです」

本番では、9区・中武選手の付き添い役を担った小野寺選手。“少しでもリラックスできるように”と、中武選手のシューズに自ら「小野寺の分まで」と書き込み、皆で笑い合った。

永井大育選手は前回の8区で力走し、今季は副主将を務めた。
彼には、網膜色素変性症という目の病がある。同じ病気と闘う嶋津選手と共に、前方が見えづらくなる早朝や夜にはライトを身に着け、二人三脚で練習に励んできた。
「同じ境遇の親友と一緒に、最後の箱根を走る」――それが二人の目標だった。
だが、エントリー発表を前にした昨年11月の記録会。永井選手は結果を残せず、帰りの車中で監督から選外になることを告げられる。
その晩、嶋津選手と家族にだけ悔しい胸の内を打ち明けた。それでもチームのために毅然と振る舞おうと、いつも通り部員たちの輪の中へ。すると思いがけないサプライズが。実は、この日は永井選手の誕生日で後輩たちが祝ってくれたのだ。
「うれしかった。このチームのために、これまで以上に尽くそうと決意し直しました」
今大会は往路の全区間をコーチと巡回し、選手を励まし続けた。目標の往路優勝に届かず、8位に終わった直後、永井選手はチームを鼓舞しようと、LINEで全員にメッセージを送った。
“ストライプインパクトを起こす舞台は整った。最後まで走り切ろう”。チームは往路に続き、復路でも粘り強い走りを見せ、堂々の総合7位に輝いた。
さらに4年生には、昨年末の記録会で自己ベストをマークした西村拓海選手、けがでいち早くサポートに回った麻生樹選手がいる。
7人がつないだ“心のタスキ”を胸に、駅伝部は来シーズン、新たな絆のドラマをつづる。

