〈勇気の旗高く〉 池田先生と大阪㊤

「大阪の戦い」に学ぶ勝利のようてい

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチやしんなどをしょうかいする「勇気のはた高く」。今回の「池田先生と大阪」㊤は、「大阪の戦い」に学ぶ“勝利のようてい”をけいさいする。

威風も堂々とそびえ立つ大阪城。「常勝関西」は、どこまでも「法華経の兵法」を根本に、師弟共戦で築き上げられた“広布の錦州城”である(2007年11月、池田先生撮影)

2007年11月、池田先生は本部幹部会・関西総会でスピーチ。「私は関西を、最も重要視してきた。今でもそうだ。関西は一途である。人間性が光っている。人情味がある」と述べた(関西池田記念会館で)

関西本部で「勇戦」の文字を大書する池田先生。「大阪の戦い」の真っただ中で、最前線の奮闘する同志を鼓舞した(1956年5月)

関西の歌「常勝の空」発表40周年を記念する「関西栄光大会」。池田先生は「愛弟子と 誓願果たす うれしさよ 関西立ちて 恐るるものなし」との万感の和歌を贈った(昨年7月、大阪城ホールで)

師弟の祈り


 1956年(昭和31年)7月、参院選・大阪地方区の勝利で「“まさか”が実現」と世間をおどろかせた「大阪の戦い」。池田先生はこの戦いを通し、全国の同志に“勝利のようてい”を示してきた。
 第一の要諦は「師弟の祈り」である。
 池田先生は2006年(平成18年)7月8日、7・3記念の代表者協議会(東京・新宿区内)の席上、ちょうど50年前の決戦の日をじゅっかいしつつ、師弟にてっく中にこそ必勝のちからがある、とうったえた。
  
 1956年(昭和31年)の7月8日のことである。その日は、日曜日であった。
 あの「大阪の戦い」のり、私は祈りき、戦い切って、関西本部で決戦の朝をむかえようとしていた。
 早朝5時ごろ、静かな館内に電話のベルがひびいた。
 私は、東京におられる戸田先生からの電話であると直感した。
 まいをただして受話器をとると、先生の声である。
 「関西はどうだい?」
 私はそくに、おこたえした。「こちらは勝ちます!」
 しゅんの師弟のきゅうであった。「そうか。勝てるか。勝ってくれるか。うれしいな。うれしいな」
 先生が命の底から喜びをあらわにされた、あの声の響きを、私は今もってわすれることができない。
 そして、愛する関西の同志とともに、私は勝った。“まさか”を実現したのである。真のしょうは、弟子に勝利の道を示してくださる。
 いな、師弟に徹し抜く中にこそ、「必勝の力」は、こんこんずるのだ。仏・さつしょてんぜんじんの絶対のあらわれるのだ。
  
 関西の指揮は、戸田先生からたくされたいくさである。
 当時、私は28歳。自分がうまくやろうとか、えらくみせようとか、そんな心はじんもなかった。
 「ただ、先生に勝利のご報告をしたい」――それだけであった。師弟こそ、げんの「」と「勇気」と「生命力」のげんせんなのである。
  
 真の弟子ならば、だんとして勝って、師匠に「勝利の栄光」をささげゆくことである。それが、ほうおんしんずいであるからだ。
 「勝てるか?」
 「勝ちます!」
 勝利のげんせんとなりゆく、この師弟の朝の深き心の呼吸を、私はこうけいの青年たちに伝えておきたい。

しょういきおいとしゅうねん


 第二に「しょういきおいとしゅうねん」である。池田先生は2001年(平成13年)7月の随筆で「同じ戦うならだいとうそうを! ばくはつ的な勝利を! あっとう的な勝利を! 私の使命はただ一つ。この関西に、なんこうらくきんしゅうじょうを築くことであった。そのために、私は全生命をなげうって、断じて勝ってみせるとの決心であった」と。先生は勝利への執念を燃えたぎらせ、じんとうった。
  
 ぜんぐんの勢いのげんどうりょくは、リーダーの勢いで決まる。リーダーの執念で決まる。
 私は、になって打って出た。ためらうことなく、走りに走り、さけびに叫んだ。早朝からばんおそくまで、大阪中の街々を、友の激励にれた。
 行く先々で「まだ、時間がある」「まだ、励ませる」と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。
 全身にあせは流れ、声はれ、足はぼうのようになった。
 一日二十四時間という、限られた時間のなかで、会うべき人、会って励ましたい人、連絡をとりたい人は、あまりにも多い。
 この瞬間、この機会をのがしたら、もう会えないかもしれない。ゆえに必死だった。きょてんから拠点へ、移動するにも、「あのおたくは学会員です」と聞けば、「せめていっぷんでも」と足をはこんだ。
  
 関西の友といっしょはいした御書は数知れない。そのなかの一節に、こうおおせである。
 「いちにちいのちさんぜんかいたからにもすぎてそうろうなり」(御書986ページ)
 かけがえのない「今日」をいなく戦い、広宣流布のため、人びとのために生ききれ! 「常勝」とは、断固として「今を勝つ」ことだ。「今日を勝つ」ことだ。
  
 先生はおりれて「リーダーの一念」が勝負を決すると示してきた。2010年(平成22年)1月26日、信濃町の創価文化会館(当時)で開かれた「SGIの日」記念協議会では“今のしんけんな行動が、後世の教科書になる”と、リーダーをしている。
  
 忘れもしない、昭和31年の大阪の戦いで、私は愛する関西のわかき友に贈った。
 「仏法は勝負なり」「正義にってて、なんじの力 百倍せん」と。そして「れも断固たたかう。君も共に、広布のためふんとうされん事を」と呼びかけた。
 正義なればこそ、断じて勝たねばならない。れつな戦いにあって、その勝敗を分けるものは一体、何か。それは、リーダーの一念である。せんじんを切る将の姿である。大阪の戦いでは、まず私自身から、必死の祈りを開始した。
 それが、友へと広がり、一人また一人と立ち上がり、ついには時代を動かす、大いなるうねりとなった。
  
 風がけば、なみが立つ。正義をさけべば、反発も起こる。
 御書に「風だいなれば波大なり」(909ページ)とおおせの通り、これからも、大仏法をひろめれば、必ずなんきそうだろう。それは、正義のゆえであり、時代が変わるきざしなのだ。戦おう! 断じて勝つのだ。頑張ろう! 今の皆さん方のしんけんな行動が、後世の教科書になっていく。(中略)皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
  
 師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。いかなる時代になろうとも、師弟のたましいさけき、師弟の道に生きるのだ。
 それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命にきざみつけていただきたい。

正義の団結


 そして第三の要諦は、「正義の団結」の拡大である。
 「大阪の戦い」のちゅうけんりょくしょうが、あっぱくぼうがいかまくびをもたげてきた。
 だが、関西の同志はしょうあらしをはね返した。池田先生の陣頭指揮のもと、「必ずさんしょうと申すさわりいできたればけんじゃはよろこびしゃ退しりぞくこれなり」(同1091ページ)とのせいくんのままに、いっ団結して大反撃を開始し、勝利のきんとうを打ち立てたのである。
 池田先生は2001年(平成13年)5月の随筆で、その歴史をじゅっかい。広布をはばあくの本質をてきし、ぜんにんが、それ以上に強力なかくを固めて、正義の団結を拡大することこそ「こん不変の勝利の鉄則」であると強調した。
  
 団結は力である。団結は正しい。団結は美しい。団結は楽しい。
 けんな団結は、必ず各人の「きょうがいの拡大」をともなう。広宣流布の回転に心を合わせれば、自分中心の小さなエゴのからを破っていけるからだ。
 学会と共に!
 同志と共に!
 正義の師弟が共々に!
 その心があればこそ、だいなる人間革命の山を登ることができるのだ。
  
 さあ、新世紀の栄光のとびらを開く大闘争だ!
 どうせ戦うならば、勝ち戦を!
 勝ち戦のためには、一にも、二にも、三にも、同志のこんごうの団結で進むことだ。

(2019年3月15日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より