歴史を変えた、覚悟の「全員陸上」 創価大学駅伝部 全日本大学駅伝初出場決定のドラマ

 全国的に観測史上最短での梅雨明けが発表されており、酷暑の日々が続く。
 全日本大学駅伝関東地区選考会が行われた6月19日は、梅雨明け前にもかかわらず暑い一日だった。会場となったのは神奈川県相模原ギオンスタジアム。各校の熱気がみなぎる中、創価大学駅伝部は新たな時代の扉を開いた。三大駅伝(出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝)の中で唯一、出場がかなわなかった全日本大学駅伝への初出場の切符をついに勝ち取ったのだ。

「自覚」から「覚悟」へ

 「去年の悔しい思いを忘れたのか」「こんな状態じゃ突破できない」
 全日本大学駅伝関東地区選考会を目前に控えた学生だけのミーティングで、4年生の中心者が熱く語った。

 チーム内にわずかな気のゆるみが生じていた。「4年生は実力者ぞろい。絶対的なエースもいる。どこかで予選突破への油断があった」。チームを一番近くで支える主務の吉田正城(3年)は敏感に選手たちの油断を感じていた。

 4年生の多くが昨年、選考会を走った。だが、実力を出しきれなかった。選考会の厳しさを身に染みて分かっていた。

 「今年こそ歴史をつくりたいんだ」――中心者の「覚悟」がチーム全員の心に突き刺さった。誰もが“歴史をつくる”との自覚はあった。だが、どこかで誰かを頼る心があった。

 「自分の力で全日本初出場を勝ち取る」――各人に、その「覚悟」が芽生えたとき、チームの空気が変わった。

 故障しているメンバーが、率先してグラウンドに出て、整備や掃除を行うようになった。全員が自分の置かれた立場で、できることは何かを考えた。
 次第に、「箱根準優勝の時のような雰囲気ができていった」と主務の吉田は振り返る。いつしかチーム内は「ありがとう」の言葉であふれ、形ではない、真の団結が生まれた。

歴史を変える挑戦

 大学駅伝の大会は一般的には正月の箱根駅伝が有名だが、実は全日本大学駅伝こそが真の日本一を決める大会だ。
 箱根駅伝は「関東学生陸上競技連盟」が主催する、いわば「関東の大会」。しかし全日本大学駅伝は、歴史こそ箱根駅伝より浅いものの、全国8地区の学連の選考会を勝ち抜いたチームとシード校で争う、名実ともに「日本一」を決める大会である。
 
 全日本大学駅伝関東地区選考会は、20大学が2人ずつ4組に分かれて1万メートルを走り、8人の合計タイムを競う。上位7校が11月の本戦出場の切符を勝ち取ることができる。
 
 この全日本大学駅伝本戦への出場――創価大学駅伝部は過去、何度もその高い壁にはね返されてきた。
 
 最も出場が近づいたのは2016年。3組目を終え、順位は3位。
 
 「最終組には、当時のチームで一番強いメンバーが残っていて、順当にいけば通過できるだろうと思っていました」(瀬上総監督〈当時、監督〉)。
 
 しかし最終組の中盤、6000メートル過ぎ。創大の一人の選手が腹痛を起こし、救急車で運ばれる。レースは棄権。予選通過が目前で逃げていった。
 
 箱根駅伝準優勝校として臨んだ昨年は、メディア各社も「創価大学は突破濃厚」と報じていたが、故障者が続出し、結果はまさかの14位。本戦出場には全く手が届かなかった。
 
 通例では、駅伝の大会は肌寒い冬に行われることが多いが、この選考会は毎年、梅雨の6月の開催。
 高温多湿の厳しい気象条件、チームを代表して走るプレッシャー。そんなタフな環境が重なり、棄権者が出ることも少なくない(※2005年に東海大、2016年に創大と神奈川大、2018年に中央大が途中棄権)。
 
 合わせて、8人の合計タイムを競うものの、「記録」をねらって、一定のペースを刻むようなレース展開は少ない。「勝負」を競い、ペースが激しく変動することが多く、「速さ」より「強さ」が求められる。
 
 今年の創価大学駅伝部のスローガンは、「創姿顕心―強さの証明」。
 「速さ」ではなく、気象状況やコンディション、対戦相手なども含めた「どんな状況でも勝ち切る強さ」を、年頭から選手たちは追求してきた。
 
 今年の上半期の目標点としたこの大会は、まさに、自分たちのスローガンを体現し、歴史を変えるのにふさわしい舞台となった。

4年生がつないだ希望

 1組のスタート時刻である午後5時30分直前、気温は26℃、湿度86%を指していた。
 
 「カンカンカン」――。選手を呼び出す「決戦の鐘」がスタジアムに鳴り響く。大きな拍手に迎えられ、1組目の選手がスタートラインに向かってくる。
 
 横山魁哉(4年)は1年と3年の時に、この選考会を走った。「気持ちの弱さが走りに現れて……」。過去2回、満足のいく結果は出せなかった。これまで箱根駅伝はエントリーメンバー入りするも出場はなし。
 
 最後の学年となる本年は、自身を見つめ直し、年頭から課題のスタミナ強化を地道に進めてきた。春先の試合では自己ベストを更新。5000メートルの持ちタイムは、一流選手の指標となる13分台に乗せ、今年も予選会のエントリーを勝ち取った。
 
 今大会、4年生として出走したのは横山と4組目を走った留学生フィリップ・ムルワのみ。多くの4年生がコンディション不良で出場がかなわなかった。
 
 上半期、強い思いでチームを引っ張ってきた4年生の仲間たち。「自分がやるしかない」。横山はチームの命運を背負う覚悟を決めていた。
 
 「スターターとして、攻めの走りでチームに勢いを与える」との言葉通り、2位集団の前方でレースを進めた。
 
 「5000メートル過ぎで苦しくなって」。そんな時、トラックの脇で応援する同期の顔が目に入った。力が湧いた。懸命に脚を回し、前の選手に食らいつく。
 
 残り2000メートル。集団がさらにペースアップ。横山は、トレードマークの「腰バンド」を投げ捨て、心のギアを入れ替えた。ラスト1周のスパート合戦。懸命に前を追い、ゴール直前に一人をかわし、5位でゴール。
 
 「記録は満足していないけれど、最後まとめられたので少しは成長したかな」
 1組目終了時点での創価大学の順位は11位。通過圏内の7位までは12秒弱。4年生の熱い走りが、本戦への希望をつないだ。

新戦力の台頭

 2組目を任された石丸惇那(1年)。入学直後、5000メートルで13分台の記録を出し、それ以降の大会でも、安定して上位で走り、力を発揮してきた。
 
 「1年生に勢いがある」「出走メンバーを見て驚くかもしれません」――選考会の直前、榎木監督が語っていた言葉通り、今大会の本番では、1年生2人がエントリーした。石丸は、3組目を走った野沢悠真(1年)と、「1年生の俺らで上級生に刺激を与えていこう」と語り合い、入学後から結果でチームを引っ張ってきた。
 
 主将の緒方貴典も、「新1年生の台頭で、上を目指す雰囲気が出てきた。いい意味で(上級生に)危機感が出てきた」と、チームへの影響を振り返る。
 
 石丸は本大会が、公式戦では初の10000メートル。緊張とプレッシャーが襲う中でも、常に前方で勝負を仕掛け、終わってみれば、組7位でゴール。3組目の野沢も組10位と1年生の「強さ」が、選考会突破の大きな要因となった。
 
 「1年目から戦力となれるよう、これからの大会でもチームを引っ張っていきます」と石丸。2組目終了時点で、創大は11位から9位へ。突破が見える位置まで上がった。

3年生の覚悟が開いた歴史の扉

 「3組目は自分が行くしかない」
 選考会の直前合宿中、桑田大輔(3年)は覚悟を決めていた。
 
 年始の箱根では往路優勝を目指して、3区を任されたが、大舞台にのまれ、悔しい結果に終わった桑田。新チームとなり、4年生が卒寮していくと、意識が大きく変わった。
 「3年は上級生。先輩についていくだけじゃなくて、自分たちが引っ張っていかなくては」
 
 しかし決意とは裏腹に、2月、3月は苦しかった。体の状態が悪く、練習では垂れたことのない桑田が垂れた(※垂れる=失速する)。

 「3カ月後に結果を出そう」との周囲の激励に支えられ、日々の練習についていくのがやっと。それでも踏ん張れたのには理由があった。
 
 月に1回程度行われる3年生だけのミーティング。
 
 「3年生の力が他学年より見劣りするといわれている。ここで結果を出さないと次はない」と皆で腹を決め、練習でも声を掛け合った。「3年生には今回の大会で覚悟を示してほしい」と選考会前、榎木監督も語った。
 
 桑田は、春のトラックシーズンを見据え、体重を数キロ落とした。調子も徐々に戻っていき、選考会を迎えた。
 
 3組目、4組目にはエース級が集まる。不安はあった。だが苦しい練習に耐え、厳しい状態を乗り越えた自信が不安に勝った。「どんな状況でも結果を出す」と胸を張ってレースに挑んだ。
 
 「上半期は4年生に頼りっきりだっただけに、自分の走りで4年生を全日本に連れていきたかった」。その思いを体現する走りで、桑田は序盤から前方で集団を引っ張った。
 
 終盤まで牽制し合う団子状態の先頭集団の中で、桑田はいつでも仕掛けられるよう、冷静に常に集団の外側に位置を取り続けた。
 
 残り2000メートル。桑田が仕掛けた。ホームストレートで先頭に立った桑田をメインスタンドの照明が照らし出す。強気の走りで、先頭で周回を重ねていく。
 
 最後までもつれる展開になったが、見事3位でゴール。10位に入った野沢と共にタイムを大幅に稼ぎ、3組終了時点で、創価大学は6位に。遂に圏内に順位を上げた。

「第0組」での圧勝

 試合前、会場の開門と同時に、創価大学の何人かがチームが待機する場所取りに走った。他の大学との情報戦を制し、見事な連携と行動力で、スタンドで「一番日陰になる場所」を陣取った。
 
 「今回は準備で勝つことができました」と、主務の吉田(3年)は自信をもって語った。
 今年は主務2年目。重要な大会の前ほど、マネジャー同士で入念にシミュレーションし「隙を潰す」のだという。
 
 「あれもこれもやっておけばよかった、ということがないよう、今回も徹底的に当日を想定し準備に取り組みました」
 
 選手が走る何日も前から、マネジャーは既に当日を「走っていた」。
 
 今回、特に計測には力を入れた。
 レース中にも、現時点で突破圏内まで何秒足りないか。ライバル校は何秒先をいっているか。状況を細かく監督に報告。監督からは選手にその情報が伝えられ、具体的な指示が告げられた。
 マネジャーの正確な計測・連携なくして今回の勝利はなかった。
 
 全日本大学駅伝関東地区選考会「0組」。記録も順位も残らないが、創価大学マネジャー陣の「走り」は、0区を「圧勝」した。

悔し涙の先に

 第4組は、安定感のある2人(嶋津雄大、フィリップ・ムルワ)が実力を遺憾なく発揮し、総合3位で全日本大学駅伝の初出場を勝ち取った。
 
 新たな歴史を開いた創価大学駅伝部。だが、トップで通過し、「強さの証明」をしたいとの目標を掲げていただけに、終了後のミーティングでは、悔し涙を流す選手がいた。
 
 嶋津(4年)は終了後に語った。
 「今回、走れていない主力選手もいます。創価大学はこんなもんじゃない。下半期に期待していてください」
 
 下半期の駅伝シーズンへの戦いはすでに始まっている。
 
 10月の出雲、11月の全日本、そして、箱根――。今年は三大駅伝全てに出場する初めての年となる。
 
 今回の選考会で得た「全員陸上」の団結。赤と青のストライプは、全国を舞台に、その強さを証明していくことだろう。