
駅伝シーズン幕開け直前の9月、創価大学の主将、緒方貴典選手(4年)はひたむきに走っていた。「箱根を夢のままで終わらせたくない」
今年正月の箱根駅伝で正選手入りをあと一歩で逃し、中学生の頃から目指してきた箱根路を駆けるには今シーズンがラストチャンスだ。母への恩返し、「あのアンカー」の助言、「教え子」との約束――。多くの思いを胸に脚を動かす。
緒方選手には熊本・阿蘇中時代に逸話がある。全国大会出場など華々しい実績はなかったが、九州各県の強豪高校から次々と勧誘を受けた。真面目さと誰からも慕われる温厚な人柄を兼ねそなえ、「主将としてチームをまとめられる」との評判が広がったからだ。
もともと小学生から学級委員を務めるタイプだったが、さらにしっかりしなければと思うきっかけがあった。母宏美さんが緒方選手の中学1年時に離婚した。
母は仕事や家事を一人でこなしつつ、息子が何かをやりたいと言えばいつも背中を押してくれた。13歳にして緒方選手は「母に自慢してもらえる子どもになって恩返ししたい」と決意したという。
熊本工高時代も全国的には無名だった。それでも、創価大のスカウト担当だった瀬上雄然(ゆうぜん)総監督(60)は迷いなく勧誘した。「『頑張ります』という緒方の真っすぐな目を見て、取ると決めた。入学後も泣き言を一つも言わず、ひたむきに取り組む。勉強も手を抜かない」と姿勢を絶賛する。
箱根走れず、救ってくれた先輩の助言
大学入学時点の走力は同級生の中で下から数えた方が早かった。当初は故障がちだったが、フォームから見直し、地道な練習で力をつけた。
2年時の2021年正月の箱根駅伝は出場できなかったが、16人の登録メンバーには入った。3年時には、4年生以外では異例の副主将に抜てきされた。
4年生と3年生以下の橋渡し役を務めながら、個人の力を伸ばし、21年10月の出雲全日本大学選抜駅伝の1区で大学3大駅伝デビューした。
しかし、夢の箱根駅伝出場をつかむ直前に暗転した。練習過多により、21年12月上旬に左足を痛めて調子を崩した。
年末のミーティングで発表された出場10選手に自分の名前はなかった。「正直、かなり落ち込んだ。でも、表情に出せばチームに悪影響を与えてしまう」

涙を必死にこらえて寮の自室に戻ると、当時4年生だった小野寺勇樹さん(23)が自分のいすに座っていて驚いた。
「お前のつらさは分かる。泣きたい時に思い切り泣いておけ」。小野寺さんに声を掛けられ、抱きしめられた緒方選手は感情があふれ出て号泣した。
小野寺さんは1年前の21年箱根駅伝でアンカーを務め、2位の駒沢大学から3分19秒のリードでたすきを受けながら大逆転を許した苦い経験を持つ。
小野寺さんは「自分は逆転された悔しさを表に出さないように努めた結果、気持ちを切り替えられず負の連鎖に陥ってしまった。一度吐き出した方が良かった。苦しくても我慢する緒方の姿が以前の自分と重なり、他人とは思えなかった」と思いを話す。
「総合優勝目指す」チーム一つに
翌朝、グラウンドに向かう緒方選手の表情はすっきりしていた。先輩の助言のおかげだった。年が明け、22年正月の箱根駅伝の本番も心から仲間たちを応援することができた。
そして、総合7位でフィニッシュした1月3日の夜、次期主将に決まっていた緒方選手は新4年生を代表して榎木和貴監督(48)にこう告げた。「僕たちは箱根で総合優勝を目指したいと思っています」。同期が昨年のうちに話し合って決めていたことだった。
緒方選手らの学年は、榎木監督の就任とほぼ同時に入学した。中央大学、旭化成という名門出身で経験豊富な榎木監督の指導を受け、急成長するチームの変化を実感してきた。

明るく個性的な性格の選手ばかりだが、緒方選手を中心に団結心が強く、実力もあるという自負があった。榎木監督も「4年間で築いてきたものを一つの結果として出す段階に来ている」と同じ思いで目標を受け入れ、チーム全体で共有した。
高い意識を持った緒方選手らが最上級生になると、これまで以上に練習後、自主的な補強トレーニングをする部員が増えた。新4年生が積極的に先頭を引っ張り、練習の雰囲気も引き締まった。チームは最高のスタートを切った。
教育実習で取り戻せた初心
緒方選手には日程上の懸念が一つあった。教育学部に在籍しており、教員免許取得のため約3週間の教育実習で一時的にチームを離れなければならない。
複数の選択肢から5月末~6月17日を選んだ。直後の6月19日には全日本大学駅伝関東予選会が控えていたが、意欲的な仲間たちを信じ「自分の頑張るべきことをやろう」と考えることができた。
熊本・阿蘇中での教育実習中は無料通信アプリ「LINE(ライン)」でチームメートと連絡を取りつつ、中学生の指導に集中した。陸上部の練習メニュー作りを任されると「陸上を好きになってほしい」。基礎的なトレーニングは順位や記録を競わせてゲーム感覚で取り組めるようにし、走っている最中は褒める言葉を意識して掛けた。

指導するうちに「走ることは楽しい」という初心を取り戻せた。離任前、多くの生徒にサインを求められると「このサインに価値をつけられるように頑張る」と顔を赤らめながら約束した。
再合流直後、自身は応援に回った全日本大学駅伝関東予選会で、チームは3位に入って念願の本大会初出場を決めた。出場8選手は、4年3人、3年2人、2年1人、1年2人と学年はバラバラ。4年生に引っ張られるように下級生も成長してきた証しだった。
箱根駅伝のレギュラー争いは激しくなるが、それも主将として望んだことだ。緒方選手は「創価大は変な上下関係がなく、学年を超えて仲が良かった。これまでの先輩を見習って、話しやすい4年生になる」と意識していた。
今年から練習前のウオーミングアップを部員全員でなく、7~8人の「縦割り班」ごとで行う形式に変更し、一人一人が意見を言いやすいようにした。下級生ものびのびと力を発揮できる環境作りが成果につながりつつある。
中学時代、箱根駅伝を疾走する大学生ランナーの姿をテレビで見た緒方選手は「こんなに人間は速くなれるのか」と感動し、目指すと決めた。大卒後は実業団に進む予定だが、引退後のセカンドキャリアとして中学教員を視野に入れている。
「しっかり頑張れば中学生の時に思い描いた夢はかなう」。いつの日か子どもたちにそう伝えたい。今は実直に練習することが夢の箱根出場をかなえる唯一の方法だと信じ、今日も走り続ける。【小林悠太】
=「大学スポーツ365日」は今回で終わります。
陸上競技部は1972年創部。82年から箱根駅伝の予選会に参加し、十数年前に陸上部内の長距離ブロック名を「駅伝部」とした。中央大在学中に箱根駅伝で4年連続区間賞を取り、旭化成では別府大分毎日マラソンで優勝した榎木和貴監督が2019年2月に就任して急成長。箱根駅伝では20年に9位、21年に2位、22年に7位と3年連続でシード権を獲得中。

