母「“一家の太陽”になれたかな」息子「支えられているのは僕の方」

【千葉県印西市】リビングのテーブルに、買ってきたばかりの2本のペットボトル。佐藤利恵さん(47)=地区副女性部長(白ゆり長兼任)=が手に取る前に、息子の空さん(21)=学生部副部長=が、さっと手を伸ばしキャップをひとひねり。「ありがと」と言って口に運ぶ佐藤さんは、「関節リウマチ」の影響で手に力が入りづらい。何気ない自然なサポートに、親子の絆を垣間見た――。
1998年(平成10年)2月、22歳の佐藤さんは、肘にできたこぶを診てもらおうと病院へ。診断は脂肪腫で、すぐになくなるとのこと。安心し“そういえば”と、若干の腫れが気になっていた右手の人さし指について、軽い気持ちで聞いてみた。ところが、指を見た医師の顔が曇っていく。エックス線検査の結果、「関節リウマチ」と告げられた。“えっ、私が?”
免疫の異常により関節に炎症が起こり、痛みや腫れが生じる病。骨が破壊され関節が変形することもあるという。
とはいえ、医師の話を聞き終えても、それほど大ごととは考えなかった。だが、付き添ってくれた母・近藤逸子さん(74)=支部副女性部長=に、ふと視線を移すと横顔が暗い。帰り道、「ごめんね、ごめんね」と何度も繰り返す母に“普通の人生は送れないのかもしれない”と将来が怖くなった。
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身体は徐々に言うことを聞かなくなっていく。そんな日々の忍耐の先に幸せを見つけた。職場で出会った公昭さん(53)と、2001年に結婚。おなかには新たな命を授かった。
リウマチ患者の出産には、リスクが伴う。「絶対に大丈夫」。婦人部(当時)の先輩の確信を支えに、題目を唱え、産むと決めた。無事に生まれた男の子・空さんの元気な産声に、佐藤さんの心は喜びにあふれた。

しかし、病魔はひたひたと、佐藤さんに忍び寄ってくる。05年3月。本紙の配達中だった。
「聖教新聞が重い……?」
手に持った数部の新聞に「重さ」を覚えたのは初めてのこと。それからの体調の悪化は早かった。全身が痛む。コップも持てなくなった。食事は一人ではままならず、夫に口元まで運んでもらうように。1カ月で体重が10キロ以上減少し、一日中、ベッドから起き上がれなくなった。
まぶたを開けると、いつも目の前には空さんの姿が。まだ3歳。母を守る「小さなナイト」のごとく、佐藤さんが体調を崩してからは、そばを離れようとしなかった。
ある日の午後、そんな息子の姿が見当たらない。寝室から物音が聞こえ、這うようにして見に行く。そこには空さんの小さな背中。母には見せまいと、声を押し殺し、泣いていた。
思わず駆け寄り、膝の上に抱き寄せた。息子は「痛くない?」と心配そうに見つめてきた。自分が寂しくても、母の身体を案じる息子。
“応えなくちゃ。母は一家の太陽なんだから”
佐藤さんは真剣に御本尊に向き合うようになった。題目を数回唱えると息が上がる。休みながらの1時間。多くは唱えられなかったが、まだ自分に戦う生命があることを感じた。“絶対に負けるものか”

闘う日々が始まった。同志の「題目は、私たちに任せて」との言葉が心強い。薬も合うものに変更し、少しずつ、身の回りのことができるように。半日以上、起きていられるまでに回復すると、“今こそ、人を励ます時”と学会活動を再開した。
時には地区の同志の車で友人宅まで対話へ。車中、同志が代わる代わる息子に話しかけてくれる。大きな声で歌うわが子。車から降りれば踊っている。“こんなに楽しそうな顔、いつ振りだろう。学会活動が、空の笑顔が戻るきっかけになったんだね”
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佐藤さんは、一番の苦境を乗り越えたものの、歩く速さは健常者の半分ほど。階段は上れなかった。
空さんは、母と一緒に歩く時には腕を組んで支えることも。中学生になると「さすがに少し恥ずかしい」と。それでも、母を遠ざけたことが一度もないのは「誰よりも母が明るいからですかね」。
高校受験や部活の大会など、悩んだ時には、いつも隣に母がいた。冗談で何度も心を軽くしてもらった。

そんな気丈な母が題目をずっと唱えているのを見ると、“やっぱり、つらいんだなあ”と空さんは思っていたという。「でも、それは違うって、学生部の活動をするようになって気付いたんです」
同年代の同志と語り合うたび、祈っている人の言葉には“芯”があると感じた。また、折伏をし始めると、友人の多くが悩みを抱えながらも、それを直視できないでいることを知る。
“祈りは現実との戦いなんだ”。戦っているから、母は明るいし、それは強さからくるものだと思った。
空さんは「家族で母を助けてきたけれど、僕の方こそ母の強さに支えられてきたと感じます。もっと強くなって、本当の意味で母に頼ってもらえる人になりたい」と。

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現在、佐藤さんの病状は落ち着いている。4年前の手術で両膝に人工関節を入れてからは、階段も難なく上れるように。症状を抑えるために服薬は欠かせないが、「歩くことができる今、学会の温かな世界を伝えたい」と、昨年、白ゆり長に就いた。体調の急変以来の役職だ。
佐藤さんが「○○さんのところに励ましに行ってくるね」と玄関扉を開けると、空さんも友の激励へ。長年、佐藤さんを支えてきた夫の公昭さんは未入会だが、「行ってらっしゃい」と温かく二人を送り出してくれる良き理解者だ。
いつの間にか、自分より大きくなった息子の背中。「支えてもらっているのは、僕の方」なんて言ってくれるとは思わなかった。その言葉を聞くと、「私も“一家の太陽”になれたかなと思えるんです」と佐藤さんは、ほほ笑んだ。



