〈輝きの瞬間〉6月の広布史 関西池田記念墓地公園 初訪問

1990年6月3日、4日

 兵庫・丹波市にある関西池田記念墓地公園。そのオープンは1990年6月のこと。美しい山並みと田園風景が広がる水と緑の天地に、待望の墓園が誕生し、関西中の同志に歓喜があふれた。


 池田先生は3日、丹波へ向かった。“先生が通られる!”――墓園までの道々には、三色旗を振る同志の姿があった。
 夕方に同園に到着した先生は、「素晴らしいね。おめでとう!」と祝福。記念植樹や歌碑の除幕式などに参加した後、園内を回り、亡くなられた同志やその家族に、懇ろに題目を送った。


 翌4日、開園を記念するテープカットが行われ、墓園内の丹波平和講堂で勤行会が開催された。
 厳粛に勤行・唱題し、先生は、「広宣流布にまい進する民衆こそ真の“長者”であり、妙法の同志がきたって安らかに休みゆくこの墓園は“王宮”“長者の城”ともいうべき誉れの故郷である」とあいさつした。


 この年の年末、第2次宗門事件が勃発する。「僧が上で信徒が下」という時代錯誤の権威主義の体質を露呈した宗門が、一方的に池田先生を「法華講総講頭」から罷免した。91年には「破門通告書」なる文書が送られ、創価学会は「魂の独立」を果たす。


 92年10月22日、先生は再び関西池田記念墓地公園へ。丹波平和講堂で、「兵庫県総会」の意義をとどめた本部幹部会が開催された。
 「学会・学会員を大切にする人こそ、正法を大切にする人である。正法を大切にする人は、今度は大聖人から大切にされる。御本尊から大切にされる。十方の諸仏から大切にされる。この一事を知れば、人生は盤石である。仏法の真髄の実践が、ここにある」との師の言葉に、兵庫の友は破邪顕正の前進を誓った。


 豊かな自然に囲まれ、来園者への真心にあふれた同園は長年、地元の老人会や園児、小学生たちが見学に訪れる。丹波市観光協会も桜の名所として紹介するなど、地域の“憩いの場”としても親しまれている。

池田先生が関西池田記念墓地公園を出発する際、見送る友に車中から三色旗を振って応える。同志の歓喜と決意があふれた(1992年10月23日、兵庫・丹波市で)