〈創価大学創立50周年記念特集〉 「創価大学50年の歴史」への池田先生の「発刊に寄せて」㊤

我らは平和共生の柱なり

創価大学・創価女子短期大学の卒業式で、学生と共に学生歌を歌う池田先生。創立者の期待を胸に、「創価」の名を誇りに、卒業生は歩み続ける(2009年3月、創大池田記念講堂で)

 我ら創価大学は、地球の平和共生の柱なり。
 
 我ら創価大学は、生命の価値創造の眼目なり。
 
 我ら創価大学は、世界市民の連帯の大船なり。
   
 「人間教育の最高学府」たる創価大学を創立して最初の春夏秋冬を経た1972年の5月、私はイギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビー博士とベロニカ夫人のお招きをいただき、ロンドンのご自宅で対談を開始いたしました。
 
 人類の諸課題を俯瞰し、21世紀を展望する語らいの中で、博士ご夫妻が創立まもない創大に深き理解と大いなる期待を寄せてくださったことが思い起こされます。
 
 対話に前後して、夫人の母校であるケンブリッジ大学、博士の母校であるオックスフォード大学を表敬訪問したことも、ご夫妻は麗しい母校愛を光らせて喜んでくださいました。
 
 両大学では、友情に満ちた首脳と学生から温かな歓迎を受けながら、12、13世紀にまで起源を遡る悠遠な歴史を心豊かに呼吸させていただきました。その折、同行の友と語り合ったことが、昨日のように蘇ります。
 
 「わが創大は、まず50年が勝負である。50年先を目指して進もう!」と。
 
 時は巡り、今ここに、誉れの創立50周年を晴ればれと「人間教育」の凱歌で迎えることができました。
 
 私は何よりもまず、創価教育の創始者であられる先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生に、この半世紀で、まさに奇跡というべき大発展を遂げた晴れ姿をご報告申し上げたい。
 
 そして、青春を懸け、人生を貫いて、私と共に創大城を建設してくださった、全ての学生、卒業生、保護者、教員、職員、支援者の方々、その一人一人に最敬礼して、満腔の感謝を捧げたいのであります。

1973年5月、イギリス・ロンドンにあるトインビー博士の自宅で、前年に続いて対談する池田先生。語らいは対談集『21世紀への対話』に結実し、世界29言語で出版された

次の50年へ創大の「宝」を託したい 人間教育の尽きせぬ慈愛の水脈

 この50年を通し、創大の建学精神に連なる尊き友の奮闘の結集によって、磨き上げられた3つの宝があります。
 
 ここで確認し合い、次の50年、すなわち創立100周年へ、さらには22世紀、23世紀へと託していきたいと思うのであります。
 
 第1の宝は、「人間教育」の尽きることなき慈愛の水脈であります。
 
 1930年の11月18日を期して、牧口先生は愛弟子の戸田先生と共に、「子どもの幸福」こそを根本の目的とする創価教育を宣言されました。
 
 国家主義の教育に社会が覆われる中で、目の前の若き命に最も幸福な人生を断じて歩ませたい、一人たりとも絶対に不幸にしてはならないという溢れるばかりの大慈愛から一切を出発されたのです。
 
 それは、あらゆる人の生命に最極の価値創造の智慧が具わっており、その智慧を開き、示し、悟らしめ、入らしめていくという、人間への信頼と尊敬に満ちた深遠なる教育哲学に立脚しておりました。

創価大学正門の門標には、牧口先生の筆による「創價大學」の文字が刻まれる。向学の青春を歩む学生たちを見守る(東京・八王子市)

 この心を受け継いで、民衆立の大学の建設に尽くされ、学生を励まし、慈しんでくださった方々のことは、私の胸奥に焼き付いて決して離れることはありません。
 
 遡れば、まだ切り株なども残った広大な建設用地の石拾いや整備に、人知れず奮闘してくださった陰徳の有志の献身がありました。
 
 また、戦争で自らは教育の機会を奪われた世代の方々を中心に、汗と涙の浄財を「平和のフォートレス(要塞)」の建設へ寄せてくださった熱い篤い庶民の真心を、どうして忘れることができるでしょうか。
 
 さらに、何としても、わが子を、わが後進を創大へと、苦労を惜しまず送り出し、常に温かく見守ってくださっている父母たち、地元・八王子市をはじめ日本全国・全世界の宝友たちの祈りに包まれてきました。
 
 そして、建学の精神に勇み集った共戦の同志たる教員、職員は、「わが子にもまして学生を大切に!」との心を分かち合い、創大の誇り高き「学生第一」の伝統を築いてくれたのです。
 
 トインビー博士は「教育を受け、知性を磨いた人は“ヒポクラテスの宣誓”を行うべきである」と語られておりました。教育の恩恵によって得た力と英知を人々への奉仕のために使う誓いであります。
 
 なかんずく、「大学は大学に行けなかった人のためにある」との信条を共有する創価大学には、民衆への報恩の一念が脈打っております。
 
 この励ましと恩返しの麗しき連鎖は、絶え間なく続いていきます。自分が受けた温かな激励や薫陶を同じように友人や後輩たちに、縁する人々に送ろうという息吹が漲っているのです。
 
 就職活動や各種難関の国家試験等においても、草創期から先輩たちが、あとに続く友のために道を開き、自分以上に立派に活躍できるようにとの心で貢献してくれています。これほど美しく、これほど有り難い母校愛の世界はどこにもないでありましょう。
 
 1期生をはじめとする卒業生が、母校の教員と職員の要となり、私の心を心として「学生第一」を貫いてくれていることも頼もしい限りです。
 
 大先哲が示した人間教育の譬喩を、私は若き日から命に刻んできました。
 
 「たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず、火はたきぎ・かくればたへぬ、草木は大地なくして生長する事あるべからず」(御書900ページ)
 
 創価教育の大地に、青年を愛し、信じ、励まし、共に学びゆく慈愛の水脈が滔々と流れ通う限り、人材の大樹は限りなく林立し、計り知れない平和と文化の華と果を成就することを、私は確信してやまないのであります。

1967年5月、創大建設予定地で桜が植樹された。その記念に池田先生が揮毫した「創価大之山桜」の大書

苦難を勝ち越えゆく創造的生命

 第2の宝は、いかなる苦難も勝ち越えゆく「創造的生命」の太陽です。
 
 創価大学の誕生は、「大学」自体の「解体」さえも叫ばれている渦中でありました。大学の在り方そのものが本源的に問い直される中で、新たな人間教育の地平を開拓しゆく出発であったといってよいでありましょう。
 
 とともに、東西冷戦に引き裂かれ、ベトナム戦争が泥沼化する世界にあって、平和創造の黎明を告げんと建学の志を高く掲げたのであります。
 
 開学の前から、偏見や憶測の歪んだ批判が浴びせられたことは、もとより覚悟の上でありました。草創のパイオニアたちは、その烈風に毅然と胸を張り、「正義の負けじ魂」を燃え上がらせて学び抜き、どんな圧迫もはね返す真正の実力を鍛え抜いてくれたのです。
 
 トインビー博士とともに、創価の人間教育に深い期待を寄せてくださった一人に、著名な医学・細菌学者のルネ・デュボス博士がいます。
 
 20世紀の開幕の年に生まれた博士は、感染症をはじめ人類を苦しめる病と戦い、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球規模で考え、地域で行動する)」との標語も発案されました。
 
 博士は、力強く語られています。
 
 「常に変化を続ける環境に対して、人間は自ら適応しようと闘ってゆかねばならない」「これは生きものすべての宿命であり、生命の法則でありまた本質そのものである」(『生命の灯』長野敬・新村朋美訳、思索社)と。
 
 それは、牧口・戸田両先生が「創価」の2文字に込められた精神と響き合っております。すなわち、いかなる試練の挑戦にも逞しく応戦し、新たな価値創造を成し遂げゆく生命であります。
 
 〈㊦に続く〉