〈勇気の旗高く〉 池田先生と大阪㊦

信心しきったものがかならず勝つ

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチやしんなどをしょうかいする「勇気のはた高く」。今回は「池田先生と大阪」㊦をけいさいする。(㊤は3月15日付)

常勝不敗の原点が刻まれた中之島の大阪市中央公会堂(2007年11月、池田先生撮影)。1957年7月17日、先生はこの公会堂で行われた大阪大会で烈々と叫んだ。「正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」と。その師子吼は関西の友の胸に厳然と刻まれている

永遠の勝利者

 2000年(平成12年)12月、アジアれきほうを終えた池田先生は、大阪へ。21世紀の新たなとびらを開くため、20世紀最後におとずれたのは大阪であった。同年12月14日、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会。先生は関西へのばんかんの期待を述べた。
  
 関西は「広宣流布のしんぞう」である。関西が日本全国を、また全世界を動かしていくのである。それが関西の使命だからである。
  
 二十一世紀の百年間、創価学会は、さらに「たいどうしんの団結」で、勝利のスクラムをみながら、すばらしき前進の歴史をつくってまいりたい。みな、百年間は生きていられないかもしれないが、戦いぬいたたましいは永遠である。また、こうけいの青年がいる。お子さんや、おまごさんがいる。
 日蓮大聖人の仏法の「永遠の証明者」として、また「永遠の勝利者」として、ほまれ高きだいふくうんんでいっていただきたい。
  
 この本部幹部会は、「関西女性総会」の意義も込められていた(翌2001年、12月14日は「関西女性の日」に制定される)。幹部会の席上、先生は、広布における「女性の使命」について語った。
  
 そうめいな女性の周囲には「平和」と「らく」のせいりょくが、だんだんと、できあがっていく。
 大聖人は、「おなもんをひらく」(御書1566ページ)とおおせである。広宣流布の永遠の前進にあって、「ふくとくの門」をひらき、「希望の門」を開き、「常勝の門」を開くのは、女性である。なかんずく女子部である。
  
 学会はそうそう以来、生き生きとかがやく女子部が、広宣流布のげんどうりょくであった。
 どうか、わが関西女子部は、先輩たちのごとく、全国のはんとなり、せんとうに立って進んでいただきたい。
 それはむずかしいことではない。皆が仲良く、れんけいしあい、スクラムを組んで進んでいけばよいのである。家庭では良き娘となり、職場では、皆にしたわれ、信頼される存在となっていくことだ。

はいの一念

2007年11月、本部幹部会・関西総会に出席した池田先生は、両手を高々と掲げて常勝関西の友に「Vサイン」を。「関西は、皆、平等である。家族である。そこに大きな力がある」とたたえた(関西池田記念会館で)

 07年(同19年)11月、池田先生は7年ぶりに大阪へ。9日間のたいざい中、先生は連日にわたってこんしんはげましを送った。関西最高協議会(同6日、関西池田記念会館)では、くつの「かん西さいだましい」の意義を語った。
  
 人生には、喜びの山もあれば、苦しみのさかもある。何が本当の幸福となるのか。
 (中略)しょせんは、だれかに幸福にしてもらうのではない。自分自身が強くなるしかないのだ。
 そして、創価学会といううるわしき“家族”のなかで、広宣流布に生きいていく。
 これ以上の幸福はないことを知っていただきたい。
 ともどもに、仲良き関西家族として、わが人生を勝ち抜いていきましょう! 
  
 「じょう」と言い、「じゃっこう」と言っても、何のなんも、何のしょうがいもない世界のことを言うのでは決してない。
 それは、いかなるかんなんにも断じて負けない、いな、艱難があればあるほどえ上がる、人間生命の常勝はいの一念にこそあるのだ。
 この不敗の一念こそ、わが「関西魂」であり、わが「関西スピリット」である。
  
 どんなきびしい戦いにあっても、だんとしてえ、勝ち越えてみせる、関西の大行進が、世界に、そして人類に、どれほど大きな「勇気」と「希望」を贈り続けゆくことか。
 その使命と栄光を、ほこたかく、ほがらかに自覚しながら、げんぜんと勝利また勝利の歴史をかさねてまいりたい。
  
 関西池田記念会館で開かれた本部幹部会・関西総会(同8日)では、1979年(昭和54年)4月24日の会長辞任当時に言及。「もっとも強いいかりの声をあげてくれたのも、関西の同志であった」「関西の友の心は、あまりにもけなである。広宣流布のためには、関西をかんぺきげることだ――私は、こう思い、わかき日から関西にちからを入れてきたのである。これまで数多くの広布の戦いをしてきたが、関西が一番強かった」と。池田先生がづくりできずいた「常勝関西」の歴史。“最後は信心しきったものがかならず勝つ!”とのとうこんは、関西の同志のせいがんとなっている。
  
 関西の大発展と創価学会の大勝利のために、めつの人材城を、われわれの力で築いてまいりたい。仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、いっいちゆうする必要はまったくない。
 最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
 この大確信で進んでいこう! むねって!

ぶつ

1980年5月3日、池田先生が大阪の地で大書した「五月三日」。脇書には節目の「五月三日」が挙げられている。ここに、師弟の原点がある

 さらに2日後の第2回関西最高協議会(同10日、関西文化会館)では、広布のリーダーに“勝負のてっそく”をうったえた。
  
 大聖人は、じょうきんおおせである。
 「さきざきよりも百千万億倍・ようじんあるべし」(御書1169ページ)
 げんしゅくな一節だ。人生においても、社会においても、よくよくはいしていくべき勝負の鉄則である。いきおいよく前進すればするほど、大きくなればなるほど、少しでもだんして、すきまれれば、いっしゅんくずれてしまう。
  
 使命の天地で勝つためには、「ここを素晴らしい地域にするんだ!」と深く決意し、祈りに祈り、命をけずって動くしかない。
 くちさきを動かすだけではダメだ。自分の「生命をり動かす」のだ。こうせいの人からあおがれるような、りっな幸福城を築いてほしい。限りある人生である。力を出しきらなければ、もったいない。
 広布をはばむ者とは、リーダーがせんとうを切って、「声」で戦うのだ。声が“けん”であり、“だんがん”なのだ。てきを前にして、だまっていてはきょうだ。声がぶつすのである。唱題根本で戦う人の、心のこもった声は、相手のむねに入る。あたまにも入る。たとえこまかい部分はわすれたとしても、不思議と心に残るものだ。
  
 2010年(平成22年)4月17日、八王子市の東京牧口記念会館で開催された第3代会長しゅうにん50周年・創立80周年を祝賀する本部幹部会。池田先生が「全国、全世界の同志に感謝をめて、かつて私がしたためた『しょ』を紹介させていただきたい」と述べると、だんじょういっぷくの書がかかげられた。
 ――ぼっこんあざやかな「五月三日」の文字。ごうした日付としてわきがきに「昭和五十五年五月三日 記す」「心さわやかなり がっしょう」ときざまれている。揮毫した場所は、関西牧口記念館(現在は大阪の豊中平和会館)である。1980年(昭和55年)5月3日を関西の地でむかえた先生は、のちに、この時のしんじょうを随筆につづった。
  
 私が名誉会長として初めて関西を訪問したのは、学会創立五十周年にあたる昭和五十五年の四月であった。
 (中略)そして、五月三日の「創価学会の日」を、私は、第二のきょうである大関西で迎えた。私の築いた、私としょうを共にしゆく、私の真実の弟子が集まる常勝の大関西で迎えたのだ!
 豊かにしてそうれい五月さつき晴れであった。さいぜんの常勝の空であった。
 らくせいまもない新・関西文化会館は、遠くまた近く、永遠なるかがやきをはなつとともに、広布のたましいをひたむきに、精神の王者のごとけいせいされていた。堂々と、青空にそびえ立っていた。
 私は心に強く決めていた。
 “私がたよりとし、心からしんらいできる関西の同志と、永遠の祝賀の「五月三日」をつうかいいわうのだ”
  
 「常勝」を永遠の使命とする友は「平成31年」を、今ふたたびの“まさかが実現”で勝ちかざろうと、とうの前進、また前進を続ける。不屈の関西魂が、えに燃えている。

新たな常勝の歴史を築く時は今! 栄光の「5・3」へ、異体同心の団結で躍進を誓い合った総大阪の本部長会(今月1日、関西文化会館で)

(2019年3月18日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より